今、頼綱《よりつな》が配属されている先は小児科ということだったけれど、仕事の邪魔をするわけにはいかない。
私は迷惑ついでに鳥飼《とりかい》さんにお願いして、
〝頼綱のお仕事が終わるまで総合案内付近で待っています。携帯は壊れて繫がりません。(花々里《かがり》)〟 というメールを送ってもらって、とりあえず正面入口を入ってすぐのロビーに居座ることにした。本当はカフェとかに入れたら美味しいものも注文できて嬉しいのだけれど、無駄遣いは避けたい。
鳥飼さんは「一緒にいてやろうか?」と言ってくださったけれど、先刻仕事帰りだと言われたのを覚えていた私は、夜の勤務明けだよね?と思って丁重にお断りした。
「帰ってお休みになられてください」
けどなぁ、としぶる鳥飼さんの背中をグイグイ押しながら、頭の中ではこの人と一緒にいるところを見られたら、頼綱の反応も怖いのよぅ、とか手前勝手なことを思っていたりして。
頼綱から、鳥飼さんには関わっちゃいけないって言われていたのに思いっきりお世話になってしまった。
バレたら絶対機嫌悪くなるよねっ?とは言え、メールを鳥飼さんに送ってもらっている時点で、彼と何らかの接点が生じたことはバレバレだとは思うのだけど。
ひーっ!
返す返すも携帯を壊してしまったことが悔やまれる。
そんなに使うほうではないと思うのだけれど、やはりあって当然のものがないというのは不便なもので。頼綱の勤務が終わるのは夕方以降だし、少し病院を抜け出して携帯ショップに行くことも考えたりしたのだけれど、手持ちのお金が心許ないのと、だからと言って通帳の中身もあまり減らしたくないのとで二の足を踏んで。
そもそもここに1番近い携帯ショップがどこにあるのかも分かんない。
結局私はひとり、ぼぉーっとロビーで人間観察に勤しむ以外ないみたい。
病院なんて滅多に来ないから知らなかった。平日の朝からこんな老若男女問わず、たくさんの人が出入りしてたんだ!
たまに風邪なんかでお世話になる、小さな病院の待合室みた
全ての手続きが終わって、元気な花々里《かがり》に一番似合う色だから、と頼綱《よりつな》に勧められたレモン色のスマートフォンを手渡された私は、どうしたらいいのか分からずに戸惑ってしまう。 「あ、あの……」 このままカバーもつけず、裸のままバッグに仕舞っても大丈夫? 今までの携帯みたいに2つ折りになっていないけれど、画面に傷がついたりしない……? 何しろ頼綱からの貸与品だという感覚が拭えない。 扱いは慎重にしなければ、と思ってしまって。 「カバーとか付けなくてもいいの……かな?」 ソワソワと手のひらのスマートフォンをこねくり回しながら頼綱を見つめたら、彼より先にショップ店員のお姉さんの目がキラリと輝いた。 「傷防止のために画面保護のフィルムと、ケースを付けられる方が多いですよ」 言うが早いかすっくと立ち上がって、カウンター内からこちらに出ていらっしゃると、この機種に合うあれこれのオプション品が置かれた棚に導いてくださる。 「お客様の機種ですと、この辺りですね」 シンプルに透明、無地、チェック柄……があるかと思いきや、花柄、キャラクター柄……と可愛らしいものもある。 何種類もあって、逆にどれにしたらいいの?と戸惑ってしまった。 と、頼綱がすぐ横からスッと手を伸ばしてきて――。 キャラもののひとつを手に取った。 「これとか、花々里のイメージにピッタリだと思うがね」 透明な素材にポツンと。白茶の子犬が背を向けて伸び上がっている絵柄のケース。 どうやら取り付けたら
まるで大丈夫だよって言われているみたいで何だか余計に照れ臭い。 よくよく考えてみたら、好きな異性の前でやたら頻繁にお腹の虫を鳴かせる女の子ってどうなのよ!?と思って。 今までは頼綱《よりつな》のことをそんなに意識していなかったから気にならなかったのかな。 今日はやけに恥ずかしく感じられて困ってしまう。 ここに着くまでに、車の中で例のシュークリームをもらって食べたけれど、私にしては珍しく「頼綱と〝美味しい〟を共有したい」なんて高尚な思いにかられて、半分こしてしまった。 それでかな? お腹空いたよぅ! こんなことなら頼綱にあげるの、一口にしとけば良かった! 少量だって、きっとあの美味しさは共有出来たはずなのに。 キスで舞い上がって〝お調子者〟になっていた先刻の自分を叩き倒してやりたいっ! などとケチくさい後悔をしつつ腕時計を見ると、18時を回っていて。 いつもなら、八千代さんと一緒に夕飯作りをしている頃合いだ。 今日の夕飯、何時になるだろう。 「あ、あのっ」 そこで恐る恐る腿に乗せられたままの頼綱の手に触れて彼を見上げたら「何だね?」と問いかけられて。 私は店員さんの視線を気にしながら、頼綱の肩口を引っ張ると、そっと顔を寄せて耳打ちをする。「夕飯……」 考えてみれば昨日も八千代さん任せになってしまった。 2日連続とか申し訳なさすぎる! そう思って「夕飯の支度……」と続けようとしたら「八千代さんには今夜は夕飯は要らない旨、連絡済みだよ」って言われて思わず「え!?」と声が漏れた。 「き、聞いてないっ」 腹立たしさにぷぅっと頬を膨らませたら、クスッと笑われて。「今夜はずっと
「俺もキミもキャリアは一緒だから、契約者名の変更と機種変だけでおおむねいけそうだね」 壊れた携帯を前にそう言われた私は、doconoショップのカウンターで、ショップ店員のお姉さんと頼綱《よりつな》に挟まれてキョトンとする。「どういう……意味?」 恐る恐る聞いたら、「Mobile Number Portability転出の手続きが不要と言うことだよ」と言われて、「MNP?」とますます目が点になる。 私、ホントこういうのに興味なし子でサッパリ分からないの。 頼綱の説明によると、キャリアをまたいで現行の番号のまま他所に行く場合は、事前に元々のキャリアに転出の手続きが要るんだとか。 でも同一キャリアならそういうのを省けるらしい。 今回は電話番号はそのままに、契約者名を頼綱に変えて、引き落とし先も頼綱の口座に変更するとか何とか。 機種もガラケーではなく、頼綱のと同じ食べかけリンゴマークのスマートフォンになるみたい。 「本当に……いいの?」 スマートフォンの機種代はおろか、私の携帯料金までも頼綱に被ってもらってもいいのかな。 ソワソワとすぐ横の頼綱を見つめたら、「その話はもうついたはずだよね?」 テーブルに乗せた手にそっと触れられて、頼綱の方を見たら思いのほか至近距離で。私は人前なことも忘れてドキドキしてしまう。 私、さっき頼綱と。 思い出さなくてもいいことまで思い出しそうになって慌ててうつむいたら、「花々里《かがり》の面倒を見るのは俺の趣味だから。――ね?」 そう、優しく告げられて、ただただコクコクとうなずいた。 実際は現状が居た堪れなくて、一切合切どうでも良くなってしまっただけなんだけど。 結局、私の携帯のあれこれについても何となく分かったような、分からないような……。 だけど私以外の2人は理解できてるみたいだし、まぁいっか、と思う。 私は番号が変わらないっていうのさえ分かれば十分。 みんなに新しい携帯番号を知らせなくていい
「花々里《かがり》、待たせたね」 待ちくたびれてうとうとしていたら、不意にポン、と肩を叩かれて。 その感触に、寝ぼけ眼をこすりながらぼんやりと視線を上げると、すぐそばに頼綱《よりつな》が立っていた。「……頼綱っ!」 ずっと待ちぼうけだったから嬉しくて、感極まった私は立ち上がるなり思わず頼綱にギュッとしがみつく。 いつもなら絶対にしないことをしてしまったのは、きっと寝ぼけていたのもあったんだろうな。「花、々里……っ?」 途端降ってきた、頼綱の戸惑ったような声音でハッと我にかえる。「あ、ご、ごめ、なさっ」 頼綱から触れられることはあっても、自分からそんなことをしたことはない。 お仕事で疲れてるのに急にこんな……。嫌だったよね。 雇い主が使用人に触れるのと、その逆とではやっぱり意味合いが違い過ぎる。 分不相応なことをしてしまったと思ってしゅん……として。慌てて離れようとしたら、そのままギュッと抱きすくめられてしまう。「俺はキミのことを憎からず思っていると散々伝えてあるよね? なのに何を謝る必要がある?」 すぐ耳元で低く甘くささやかれて、心臓がキュン、と高鳴った。 と、思い掛けず受付の方で電話の音がして、私は一気に現実に引き戻される。 診察時間を大分過ぎて、昼間ほど人気はなくなったとはいえ、ここは24時間体制の総合病院。 無人ではない。 私たち、そんなところで何ラブシーンなんて演じちゃってるのっ! 頼綱の香りに包まれて心臓がバクバクうるさい。 このままくっ付いていたら、それも彼にバレてしまいそうで、私は懸命に腕を突っ張って、頼綱から身体を引きはがした。「もう終わりとは――。キミは本当に情ない女性だ」 一生懸命頼綱から距離をとる私を見て、頼綱がククッと喉を鳴らすように笑う。 その意地悪な笑顔
あれよあれよと一緒に住むことになって、家で頼綱《よりつな》を見る機会の方が圧倒的に増えたからか、改めてお仕事モードの頼綱と向かい合っているんだと意識したらもうダメで。 恥ずかしさに頼綱のことを直視できなくなってしまった。 仕方なく中身の温んだカップをギュッと握りしめて、うつむきがちにうなずいたら、「いい子にしていたらご褒美をあげるからね」 って頭をヨシヨシされる。 頼綱はここが職場の食堂で、いわゆる公衆の面前だということを失念していやしないだろうか。「よ、りつなっ。こんな所でやたらめったら撫でないでっ!」 よくよく考えてみたらさっきから頭、撫で過ぎだから! 慌てて頭に乗せられた大きな手を払い除けるようにして言ったら、クスッと笑われて「ひょっとして照れてる?」って嬉しそうな顔を向けてくるの。 もぅ、そういう所作のひとつひとつが全部反則だから!「だっ、誰がっ」 思わずそう反論してみたものの、耳まで熱くなっているのが分かる。 もし視覚的に見ても真っ赤になっているのだとしたら、嘘をついているのなんてバレバレだ。 頼綱はそんな私に、「本当、俺の花々里《かがり》は照れ屋さんで可愛いね」って恥ずかしげもなく言って。 私は彼のその言葉で、やはり真っ赤になっているのだと自覚させられる。「頼綱の……意地悪!」 キッと頼綱を睨みつけてみたけれど、軽くいなされてしまった。 頼綱はそこでふと腕時計に視線を注ぐと、「――そろそろ戻らないといけなさそうだ」って残念そうに声のトーンを落とすの。 お医者さんモードの頼綱と一緒にいるの、目立つし照れ臭くて恥ずかしい!って思っていたくせに、そう言われたら何だか急に寂しくなった。 私はいつからこんな、ご主人様を待つ健気なワンコみたいになってしまったんだろう。「花々里。お願いだからそんな不安そうな顔をしないでおくれ。離れ難くなるだろう?」 フニッと頬をつままれて
「それならいっそ、ツーショットを撮ってお揃いにしようか」 そう、満面の笑みで言ってくるとか、卑怯じゃないですか!?「……わ、たし……携帯壊れたから無理!」 自分から待ち受けにしてやる!とか言い出したくせに、支離滅裂だ。 そう思いながら溜め息をついた私に、「そうそう。それなんだがね。今日はどの道キミの携帯を機種変しに連れて行こうと思っていたから。夕方にはその問題は解決するよ?」 ――その前に花々里《かがり》が携帯を壊してしまったのは想定外だったけど。 クスッと笑って付け加えられた言葉に、私は「え!?」と思う。 夕方あけておけって言ってたのってそのためだったの?「花々里がいつまでもガラケーを使っているからいけないんだよ。スマホなら地図アプリもあるし、何ならキミの居場所を俺が特定することも容易い。よしんば花々里がどこかで迷子になっても俺が何とかしてやれるし、幼なじみくんの手を煩わせることもなくなるだろう?」 何でもないことみたいにそっと頭を撫でられて、私はどこから反論したらいいのか分からなくて戸惑う。「ス、マホなんて高くて買えないっ。そ、それに維持費も……」 やっとのこと金銭面のアレコレを言い募ろうとしたら、「雇い主が従業員に電話を持たせることに何か問題があるかね? 会社でも外回りの多い人間には仕事用の携帯が支給されるものだよ。まさか知らないわけじゃあるまい?」 唇にそっと人差し指を当てられて、口封じをされた上でそう問いかけられて。 それはつまり、そのスマートフォンは頼綱《よりつな》からの支給品で、機種代はおろか通信費も頼綱持ちということでしょうか?「で、でもっ」 それはさすがに困る!と言い募ろうとしたら、「使用人と連絡が取れないのは、雇用主としては大変不便なんだがね?」とトドメを刺される。「いつまでも花々里に俺のスマホを貸しておくわけにもいかないだろう?」 私の手の中のスマートフォン